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物事にはすべて
発端があるのだ
前書きにかえて

物事にはすべて
水没するくらい
深〜い歴史があるの


子供には子供の
けもの道があるのだ


だがしかし駄菓子菓子

ラーメン食べる
(Lamentable)
とは悲しいことよ


限りなく東名に近い
たんぼ


七夕豪雨
清水市を襲う


シーチキンは
きちんと清水発


ヤァ!ヤァ!ヤァ!
UHFがやって来た!


プリンの気持ち

テトラの秘密

悲しき熱帯魚

ベッドでたまごは
吸わないで


哀愁の町に
雪が降るのだ


ケンカだ!
ケンカだ!

カッサーは
サッカーを
知らない!


男と女の
別れ道


美しい心
は何処へ


おじいちゃん
の財布


お金持ちの秘密


幼い頃、祖父の財布というのは小さな謎だった。両親の懐具合は、夫婦喧嘩の立ち聞きや、誰に聞かせるともない母の愚痴の内容で、おおよその見当はついたものだが、引退して働いてもいない祖父の財布に、どうしてお金が湧いて来るのかが不思議だったのだ。年金だとか、恩給だとかの存在を知らなかったのだから仕方がない。

祖父は良く「小遣いをやるから肩を叩け」とか「腰に乗れ」とか、孫に命令した。思うに、祖母は身の回りの世話を口実に良く孫に触っていたが、祖父というのはそんな回りくどい事をしないと自分の孫に触れなかったのかもしれない。身の入らない肩叩きを終えると財布から50円などという大金をくれたりするのだが、当時一日の小遣いが10円だったから子どもには大したお金だった。やはり、おじいちゃんはお金持ちなんだなぁと、思ったものである。

祖父は風呂上がりの夕方、越中ふんどしに浴衣を羽織って巴川の土手をゆらゆらと散歩するのが好きだった。誰も見ていないから恥ずかしくないものの、「あんな格好で歩いているじじいがお金持ちであるはずがない」と思える一瞬であった。

祖父は時々、私を連れて市内に嫁いだ娘を訪ねることがあった。孫でも連れてでなければ行きにくかったのかもしれない。子どもと年寄りが歩いてなど行けない距離なので、ハイヤーでも呼べば良いのにと、その度に思った。都会では庶民はタクシー、お金持ちはハイヤーという使い分けになっていたが、地方都市ではタクシーという呼び名は無くてすべてハイヤーだった。清水で営業車が屋根に電気看板をつけて街を流すようになるのはずっと後年のことである。

だが、バスで行くというので「やっぱりおじいちゃんは貧乏なんだな」と思った。まだ自家用車が庶民の夢だった時代、道路は未舗装路が多く、バス停のある国道1号線までは農道に毛の生えたような田舎道を随分歩かなければならなかった。当時清水市郊外では梨を栽培している農家が多かったようで、その道づたいにもたくさん梨畑があった。祖父は道に一番近いところから良く熟れていそうなものをもいで、「おりゃあいいけど、われ(お前)は、やっちゃあ駄 目だぞ」と言って私にくれたものだ。最近は「幸水」や「豊水」などの新品種が出まわっているが、当時は「長十郎」だった。梨というものは冷やさない方が美味しいと私はこの頃から思うようになった。

バスを乗り継いでさらに延々田舎道を歩くのだが、祖父は何も買ってくれない。「おじいちゃんは貧乏だから仕方ないか」と、ふてくされて歩いていると、「やい(おい)、この葉っぱ何だかわかるか」と聞くので「知らない」とボソッと答えると、「こりゃあ、タバコの葉っぱだ。戦争中はこけぇら(この辺)はサトウキビも作ってただよ」などと教えてくれる。私は祖父の昔話が好きだった。

親戚が持たせてくれるお土産がまた大変。畑でもいだトウモロコシや枝豆を風呂敷包みで山ほど持たされるのだ。貧乏人の悲哀倍増である。更にふてくされて、清水市街にさしかかると祖父が急に「やい、みどり寿司に寄って寿司でも食ってかざあ(食べて行こう)」と言うではないか。「やっぱりおじいちゃんはお金持ちなんだ」と嬉しくなった。清水銀座の「みどり寿司」は、私の憧れの店だったのだ。

『特製ちびまる子ちゃん』第4巻第6話、まる子は祖父友蔵に連れられてお寿司屋さんに行く。その日年金8万円を手にした友蔵が、孫を喜ばせようと高価な玩具を買い与えた上、寿司屋で大盤振る舞いをし、金が足りなくなり玩具屋に商品を返しに行くという哀感溢れる話である。玩具屋は多分「富岡屋」だろうが、お寿司屋さんは何処だったのだろう。

「みどり寿司」に入った私はスタスタとカウンターに座り、祖父にテーブル席に連れ戻された。やっぱり、おじいちゃんはお金持ちではないらしい。後に母は祖父から「われ(お前)は、どういう子どもの育て方をしてるんだ」と、こっぴどく叱られたらしい。

その祖父も私が高校三年生の秋、晩酌中に倒れて還らぬ 人となった。死んでみれば、裸一貫から身を起こし、13人もの子どもを育て上げ、家や工場、土地などを残したのだから、なかなかお金持ちだったのだと思えなくもないが、何の道楽もせず、年に一度の夫婦の旅を楽しみにし、無駄 遣いを決して許さず、越中ふんどしで川の様子を見ながら散歩していた祖父が清貧の人のように思えてならない。母性というものは、祖母から母に、母から妻にと受け継がれ、どこか通 底するものをもっていつも私と共にあるような気がするのだが、ぎこちなくしか触れ合えなかった祖父への思慕と喪失感は年をとるにつれ増して来るのが不思議なのだ。

(続くのだ)

 

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