特製ちびまる子を膝の上であやしながら、こう考えた。
お勉強好きの良い子を通すと角が立つ。あまり思いやりばかりだといじめられる。優等生でいるのは窮屈だ。とかくに学校というところは住みにくい。
住みにくさが高じると、たまにはガス抜き遠足にでも行きたくなる。
ということで『特製ちびまる子ちゃん』第1巻第2話は遠足のお話しなのだ。私が清水市立第二中学に入学した時、まる子はまだ1歳だったはずだ。その中学最初の遠足は船越堤(ふなこしづつみ)だった。小学校は東京だったのだが、遠足はバスに乗ってと決まっていた。ところが清水の中学に入学してみると、遠足というのは読んで字の如くひたすら歩くのだ。そもそも運動会というものを明治政府が軍隊西欧化政策の一環として始め、その為に他校へ遠征して他流試合を挑むための行軍が遠足の始まりだったというから、理には叶っているのである。ちなみに「遠足」に対して「バス旅行」というのが別
途用意されていた。まる子の時代の遠足は何処に行ったのだろうか?まさか、狐ヶ崎遊園地じゃあないよなぁ。
「絵に細部がある」という表現は面白い。細かく描き込まれて情報量 が豊富だと細部があるのかというと、そういう訳でもない。学校の授業でエッチングやらドライポイントやらをやらせると、狂ったように細密な絵を描く奴がいるが、そういう絵に、見る者を圧倒するような情報量
があるかというと、そうとは限らない。その執着心と、膨大な手間暇に圧倒されることはあるが。逆に単純な絵に、見る者に様々な想念を喚起させるような「感性の細部」が仕込まれていることがあるから侮れないのだ。この侮れない感性を先天的に持っている者を、ここでは仮に「アナドレリン体質」と呼んでおこう。
小・中学生時代には、この「アナドレリン体質」の奴がクラスに一人ぐらい必ずいるものだ。高校生ぐらいになると受け狙いで似たことをやる奴が出てくるので「アナドレリン体質者」かどうかの判別
が困難になる。内輪ウケ三流笑売人向きの「ノラクラリン体質」の発現が見られるのもこの頃である。中学生にクラスメートの肖像を描くなどの課題を与えると一人ぐらい後ろ姿を描く奴がいる。級友に面
と向かって描けないらしい。後ろ姿なので細部が無い。黒い髪、白いシャツ、黒いズボン、大股を開いて腰かけている丸椅子が、画用紙の中心に縦線を書いてから描き始めたように見事なシンメトリーになっている。一本筋の通
った「男の後ろ姿」になっているのである。本人はいたって真面目に書いているから面 白いのだ。級友の間では、これが意外にも「あいつらしさ(モデルになった男の)が良くにじみ出ている」と評判なのだが教師のウケは悪い。そういうものだ。教師には教師の都合があるのだ。
『特製ちびまる子ちゃん』を読んでいると、さくらももこの「アナドレリン体質者」的特性が良く出ているのがわかる。この「感性の細部」が無ければ、田舎小娘の耳くそぐらいな日常が全国的大ヒットとして受け入れられるわけがないのである。
さて細部に潜航しよう。遠足決行の朝は花火を上げるというのはいかにも清水らしいと思う。今でも家で寝ていると入江・浜田・岡のいずれの小学校か知らないが、朝盛大に「音花火」を上げて何かの情報発信を行っていることがある。この通
信手段の優れているところは、空耳かなと思っても物干し場にでて見るとチョコロンの様な雲が数個固まって空を漂っていくのが見えて、花火が上がったことを確認できるのである。東京の小学校では、花火ではなく校舎のまん中の一番高いところに「日の丸」を掲げることになっていた。霧雨が降っていたりすると、近所の同級生のおやじさんが自転車で見に行って、「日の丸」の有無を教えてくれたりするのだ。「日の丸が上がっていなかったから遠足は延期だ」と聞くと、飛び上がって喜んだものである。まる子の様に、延期のお菓子は別
途用意してもらい、今日のは食っちまおうと喜んだわけではない。実は雨天順延を予想して、セロハンのすき間をボンナイフでこじ開け、半分ぐらい食べてしまっていたのである。仲間で「雨乞いが通
じたもんね」などとほくそ笑み合ったものである。
本編中にライスチョコという文字を見つけて狂喜した者も多いだろう。このライスチョコというのはチョコの中に「ばくだんあられ(東京でこう呼んでいた)、もしくはポン菓子(岡山の友達がそう呼んでいた)」を入れてガサ増ししてあり、安価に買えるチョコレートだったのである。東京では「ばくだんあられ屋」というおじさんがリヤカーに物々しい大砲のような道具を積んで定期的に現れた。大砲の中に米とザラメをちょろっと入れ、下からバンバン火を焚き、クランクをくるくる回し、頃合いを見はからってカランカランと鐘を鳴らす。子どもたちは恐いので耳を押さえて数歩下がって見ている。おじさんが何か紐のようなものをグイッと引くと、「ボッカ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ン!」という大音響とともに、かごの中にぱらぱらと甘いお米のポップコーンのような物が出てくるのだ。この商売の面
白いところは、お金が無くても家から生米をちょろまかして持っていくと、「ばくだんあられ」と交換してくれるのだ。母は、家庭のいい米と引き換えに悪い米で作った菓子を渡して儲けているのだから、米ではなく金で買えとよく言っていたものだ。
で、このライスチョコだが今でもコンビニなどで売っているのを見かける。当時は「トーサン」という会社名だったが今では「トーチョコ」という会社名になっている。東京・王子の駄
菓子屋ではこのライスチョコのB級品(割れたり、成型ミスの商品)をビニール袋いっぱい置いていて、子供にクジを引かせて当て物にしていた。私は1等を当てて山ほど食べたことがあるのだ。
ベビースターラーメンというのも息の長い商品だ。インスタントラーメンをそのままバリバリ食ってもうまいと知った私たちは、お金を出し合ってインスタントラーメンを買い、路上で袋だたきにしてから分け合って食べたものだ。チキンラーメンがうまい、いやエースコックのワンタンメンだ、いやスープの別
になったチャルメラの方がうまいなどとグルメ談義に花を咲かせたものだ。
私たちの時代、遠足で人気のあったお菓子に明治カルミンがある。ハッカの白いキャンディーでまん中が素通
しのリング状になっている。このリングを壊さずにどれだけ細くなるまで舐めていられるかを競い、舌の上に乗せたものを見せあうのである。なんと愛らしい子どもたちだったのだろうか。

まる子がクジで引き当てたような、すぐに乗物酔いする奴も、いた、いた。「トラベルミン男」などと呼ばれていた。中学時代、遠足の朝「うでたまご(『特製ちびまる子ちゃん』より)」を食べて来て、バスが走り出す前にもどしてしまい、その後あだ名が「たまご」になった可愛い女の子もいたのだ。ちなみに級友の肖像画はその子を描いた。これは傑作だったが何処の美術館にも収蔵されておらず、お見せできないのが残念でたまらない。
それにしても袋にある「おかしのヤマオカ屋」の文字が懐かしいのだ。
(続くのだ)
