私、ちびまる子ちゃんは、妻に隠して『特製ちびまる子ちゃん』という上製本を全巻愛蔵しているのである。何も隠すことは無いと思うのだが、「俺が稼いだ金で『特製ちびまる子ちゃん』を買って何処が悪い!」と言うのは、どうにも気恥ずかしいのである。そんな後ろめたい愛蔵本なのでなかなかオオッピラに読むことができない。いや、ほとんど読んでいないと言って良いだろう。テレビの方だって長いこと見ていないのだ。よくテレビで妻や娘に軽蔑と憐憫の目で見られている駄
目親父が出てくるが、私にはあれは堪えられない。尊敬の目で見られることを切望するなどもってのほか、むしろ強要したいくらいなので、小脇に『特製ちびまる子ちゃん』を抱えているわけにはいかないのである。
この文章だって、こっそり書いているのだが、副読本に『特製ちびまる子ちゃん』を選んでしまったので、読まないことにはどうにも話が前に進まない。ということで仕事をするフリをしながら、こっそり膝に乗せて読んでいたりするのである。気持ちだけ夏目漱石になったようなつもりの親父が、膝に孫のまる子をのせて文机に向かっているようなものなのだ。
そんな肩身の狭い思いをしながら『特製ちびまる子ちゃん』第1巻第1話を読み始めた。早速懐かしの店が登場し、私は「おお、みつやだ、みつやだ」と、まる子を膝から落としそうになってしまった。独特の省略法で空き地に立つ一軒家のように描かれているが「みつや」の感じは出ている。中途半端に細部にこだわらない点がいいと思うぞ。昔見たグルジアの画家、ニコ・ピロスマニの伝記映画みたいだ。
清水出身の名助手「清水のワトソン君」が収拾した情報によると実際にまる子が良く行った店は「みつや」では無く別
の店なのだそうだ。だが「みつや」をモデルに選んだのは正解だと思うぞ。「みつや」は今でも現存して、まる子の焼き印を押した饅頭などを売っているが、漫画に出て来るように可愛らしいたたずまいの店なのである。
実は入り組んだ話だが、まる子の家から178歩の所にある私の生家は私の家ではなく、1歳年上の従兄の家だったのである。自分の家ではないのに、その家で生まれた子供は私だけという不思議な事情があるのだが、ここでは省略。やがてその親戚
が転居することになり、生家はめでたく我が家のものになったのである。その為、私はまる子の通 った入江小学校には行っていない。清水のワトソン君の説によると集団登校は旧東海道の道路事情が悪いため、裏通
りを通ることになっており、とすると、まる子の通学路はは我が生家の前の道だったのではないかと思うのだ。というのは、旧東海道と我が生家の間には法岸寺という大きなお寺があり、この寺の中を通
り抜ける裏技が無い限り、我が家の前を通るしかないのである。
さらにワトソン君のお手柄なのだが、まる子が良く行っていたお菓子屋は、仲間うちで「バン」と呼ばれていたのだそうだ。それを聞いて、頭の中に垂れ下がったままになっていた蜘蛛の巣をはらったように、懐かしい景色が目の前にマザマザと浮かんで来たのだ。
我が家の近所で私が小遣いを消費した駄菓子屋は3軒ある。1軒目は「あおやま」といい、旧東海道沿い、「みつや」より1本まる子の家に近い小路の角に有り、ここは多分静岡おでんや「ばい」「ながらみ」など、当時のファーストフード的なものが美味しいお店だった。現在も日本料理の「青山」というお店として営業しており、今度行ってみたいと思っている。

もう1軒は「とのぎ」と言って法岸寺がやっていた「法岸寺湯」という銭湯の入り口右手にあったと思うが、今は無い。そして我が家の前の小路を50メートル程入江小学校の方向へ進んだ左側にもう1軒の店があり、仲間うちで「バンノミセ」と呼んでいたような気がするのだ。バンは、まさか当時流行のメンズブランド「VAN」では無いと思うので、「伴」だったのかもしれない。「VAN」ならエビスヤ、「JUN」ならアカシだったのだ。この道が通
学路だったとすると見事に説明がつくではないか。ただし、この店が「バン」だったとすると、残念ながらもう無い。
しかし、当時の子供の社交場は見事に消滅してしまっているのに驚く。今の入江町の子供たちは小腹が減ったら何処で給油するのだろうか。大都会ならマクドナルドやミスタードーナツがあるのだが、このあたりにはセブンイレブンやローソンも無いのである。いや、いや、そんなもの無くても良い。きっと入江町は、買い食いなどしない、「良い子の住んでる良い町」なのかもしれないぞ。それが「楽しい楽しい歌の町」とは、思えないけどさ。
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2005年10月13日 木曜日 ■ バンがいた街
(続くのだ)