忘れもしない1999年、オオツゴモリの前日、世界があと一日でジ・エンドになってしまうのではないかと一部の人に思われていた日。オイルショックの際パニックになってトイレットペーパー買い占めに走りテレビの全国ニュースで大恥を晒した清水っ子代表の私は、Y2K、わいつーけーの言葉を交互に脳裏に点滅させながら、最後の晩餐の会場である金田食堂に向かっていたのである。
真冬のこと、開店時間の5時には既に辺りが漆黒の闇だ。大正橋たもとから見る巴川の水面
に映る家々の灯火はなんと美しいのだろう、たとえ「わいつーけー」で世界に終末が来なくとも、自分の人生の終末にはこんなに穏やかで美しく、そして物悲しく世界を見つめることができるのだろうかと、思わずにはいられなかった。
さっと暖簾を払ってガラガラっと引き戸を開けると、もう既に七分の客の入りである。店内を見渡すと、テレ下には爺さんの忘年会らしくグラスとお手元がずらりと並べられ、早めに着きすぎた二人組みがお預けを喰った犬のようにちょこんと座っていて可愛らしい。ババ前にも既に常連らしきオッチャンたちがビールを差しつ差されつしている。
「テレ下」「ババ前」というのはこの店独自の符牒で、「テレ下」は文字通
りテレビの下、「ババ前」のババは以前常連だった婆さんがいつも座っていた場所のことだ。よく「カウンタ1番さん」とか「テーブル2番さん」とか客を呼んでいる店があるが、私は好きではない。以前買い溜めたdancyuという雑誌を処分するにあたり膨大な飲食店リストをデータベース入力したことがあるが、札幌などの条理的な住所にはウンザリした。入力していてちっとも楽しくないのだ。「宮の前」とか「一本杉」とか「坂ノ下」とかの地名だと漠然とだがイメージが湧いてきて単調な作業も楽しい。「ババ前、鰹刺しとウナ肝、各一丁」などとオバチャンが声高らかに宣言してくれると、群雄割拠の戦国の世に「われこそはババ前なりー」と旗指し物を高々と翻したようでなんだか嬉しい。注文する度にババ前軍が次々に武将級の首をあげているようで誇らしくなるのである。
さらに「鰹の刺し身」「鰻の肝焼き」など品書きを読んで注文する度に、「鰹刺し」「ウナ肝」などと短縮形にして復唱してくれるのが嬉しい。注文にスピード感が付加されて、いかにも調理場にぶち込んだという気がする。注文のダンクシュートなのである。
カウンターの席がパラパラと断片化して冗長になっているところを整理するとなんとか3人掛けの席ができそうなのだが、カウンターの先客が頼まれもしないうちにツツツとずれて、あっという間に席を作ってくれた。これが良い店の特徴である。カウンターに座って脇の椅子に鞄やコートを置いておき、店員が頼まないと席を空けてくれないような客のいる店は、ろくな店ではないと思って間違い無い。
「あっ、どうもすみません」とお礼をしながら席に着くとすかさず瓶ビール2本を注文。「ま、ま、最初だけね」とか言い合って酌をし合い「今年もお世話になりました」と言い交わしてグビ〜ッ。く〜っ、たまんないねぇ。オバチャンがさっと鉛筆と小さく切った紙を置いて行く。最初の注文はゆっくり考えて紙に書きだして注文するのだ。追加注文はアイコンタクトをして口頭でダンクシュートをかますというわけ。あ〜、いい気持ちになってきた。

左隣の中年夫婦風の2人連れを横目で窺うと、頼んでいるものが渋い。刺し身盛り合わせ、これは定番ね。そしてフライ盛り合わせ、う〜ん賢いなぁ。そして黒はんぺん、う〜ん通
だねぇ。出ました、鮪のカマの塩焼き、清水の鮪は生臭くないから、塩焼きがお薦め、憎いよっ、この。えっ、ご飯と味噌汁も貰っちゃうの。しかし、良く食べるねぇ、わいつーけーに備えて食い溜めかな。あらっ、目が合っちゃった、失礼失礼、こんなときはカウンターの本棚から本を取り出すフリをしてと。
あらっ、上田の無言館の館長の本だ。金田食堂さんへ、だって。清水に来ると良く寄るらしいんだよね。さすが、いいセンスしてるねぇ。おっと、さくらももこ編集の季刊誌『富士山』の創刊号、もう並んでるよ、たいしたもんだねぇ。こちらも、金田食堂さんへ、とサイン入り。えーっ、あのギャルもここへ来るの。ん、昭和40年生まれ、そうかもう三十路半ばかぁ。おおお、何と「まる子の郷里めぐり」第1回は「こくぞうさんと金田食堂」と来たもんだ。おっと、右隣の客がもう変わっているよ。回転が早いねぇ。なになに、『富士山』に「父ひろし」が載ってるって聞いて見に来たって。おじさん、ここ、ここ、さくらももこの親父、ひろしが浴衣でカラオケ歌ってるよ。「おお〜っ、ひろしだ、ひろしだ、本当にひろしが載ってる〜っ」。おじさん、懐かしいでしょ、東京に行っちゃったもんねぇ。仲良しだったんだろうねぇ。しかし、この店の登場人物って『ちびまる子ちゃん』の世界そのものじゃん。えっ、金田食堂の息子「かねやん」って、さくらももこの同級生なのかぁ。う〜ん、知らなんだ。
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富士山創刊号
新潮45別冊
2000年1月1日発行
新潮社
定価980円(税込)
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そんなふうに、金田食堂の夜は更けていくのであった。そして私はハルマゲドンを目前にした夜に「父ひろし」の写
真を見ながら大喜びしているオッチャンたちを横目で見ながら、さくらももこ作「ちびまる子ちゃん」との出会いに思いを馳せるのであった。
あれは何年前だったろう。霞ヶ関にある某福祉関連団体の職員に、「ちびまる子ちゃん、知ってまっか?えっ、見てない?そりゃ清水出身者なら見なあきまへんわ」などと言われてしまったのである。まさか、あのマイナーな港町が全国的ヒットになっている漫画の舞台になっているなんて、きっとおちょくられているに違いない。そんな事を考えながらテレビをつけてみると、あらほんと。ヘタウマアニメの舞台がなんと清水市だ。それ以来、妻の軽蔑と
憐憫のこもった視線を気にしながら、その番組を楽しみにするようになってしまったのである。
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とはいえ、さくらももこは同じ清水市出身ではあるが11歳も年下なのだ。まるちゃんが小学校に上がる頃には私は既に高校生である。清水を遊び回ったと言ったって遊びの質が違う。こちとら、高校生時代にはさくらももこ邸(八百屋)向かいのビリヤード場でタマを撞きまくっていたのである。であるからして、近くて遠いとはこの事で、所詮世代の違う異星人と言う感慨しか作者に対して感じられなかったのである。お兄ちゃんから見れば、こんなやつ味噌っカスなのである。
しかし事態は気づかぬ間に変わっていたのだ。なに「こくぞうさんと金田食堂」だって? こくぞうさん(虚空蔵尊社)なら私だって大好きだし、大楠だって大好きだぞ、それに金田食堂と来たらあんた…。どうしてそんなに渋好みなのだ。そうか、35歳と46歳じゃ共にオバチャン・オッチャンではないか。11年ったって四千日違いなだけで中国四千年の歴史からすれば耳くそみたいなもんだ。生家だって近いぞ。ためしに大股で歩いてみたら178歩しかなかったぞ。インターネットgooに接続し「石原雅彦」で検索すると54件もヒットするぞ、「さくらももこ」で検索すると、うわっ2644件もヒットしちゃった(2000年1月9日現在)。ま、どちらもヒットするだけ偉いぞ。ヒットすら打てなかった昨年の清原よりずーっと偉いのだ。
であるからして、私は決心したのだ。もし、「わいつーけー」になっても地球が存続して、晴れて2000年の朝に息を吹き返したらさくらももこ作「ちびまる子ちゃん」を副読本にしながら、郷土の耳くそぐらいの歴史の断層を発掘し、気宇壮大な天地創造神の鼻くそぐらいでっかい郷土46年史を書いてやるぞと。名づけて「ちびまるてき郷土史探検」※である。「きょうどし」という言葉にコダワリを込めた。「たつどし」とか「ふんどし」とかいう言葉と同じぐらい「ドシッ!」としているような気がするのだ。副読本を「ちびまる子ちゃん」にしたのも良いと思うぞ。こちとら高度成長の小学生時代から、ご都合主義的な歴史副読本の使い方には熟達しているのだ。無い歴史は俺が作るぐらいの意気込みで取り組みたいと思うぞ。いざ出発!と「ババ前」にて杯を天井高く差しあげる私であった。(※ホームページリニューアルに際してタイトルを変えた。郷土史探検と言ったって、書いても書いても郷土史にならなかったからである。「もう、何でもいいから書いちゃうぞ」との意気込みで『まる子゛と清水』とした)。
(続くのだ)